庭球部の歴史
一橋大庭球部は2023年に創部129周年を迎えました。勝っては笑い、負けては泣き、すべてが庭球部の輝かしい歴史です。
●1894(明治27)年・高等商業学校「庭球部」創設 軟式でスタート、1920(大正9)年硬式転向。 同じ歴史を持つ、慶大、早大、東大なども 一橋大と同様、今なお「硬式」と入れずに 「庭球部」の名称を継承しています。 硬式転向前年の対早大定期戦で一橋大が勝利。それを機に「硬式転向」を表明すると、早大側から「勝ち逃げは許さん!」と抗議が あった、というような記録も残っています。
●1898(明治31)年・第1 回「高商対高師」対抗戦 開催/高等師範学校(現筑波大)との定期戦 は、現在も「太田清水杯」として続く日本で最も歴史のあるテニス対抗戦です。
●1906(明治39)年・神戸高商(現神戸大)と初対抗戦開催/この対抗戦は後に大阪市立大も加わり、「三商大戦」へと発展します。なお、1902(明治35)年神戸高等商業学校が建学したことで、一橋大の前身「高等商業学校」は「東京高等商業学校」と改称しました。
●1920(大正9)年・清水善造先輩(明治45 年卒) 全英庭球選手権「チャレンジ・ラウンド」(前年優勝者への挑戦権決定戦)準優勝 決勝で死闘を演じたビル・チルデン氏はこの年と翌年、全英を連覇。この試合を機に清水先輩と深い友情の絆で結ばれました。後の1936(昭和11)年、チルデン氏が来日。各地で親善試合。予定外で甲南高校にて、清水先輩とテニスをするのですが、「契約外の試合は認めない」とする主催新聞社をチルデン氏が「友人としてテニスをするのだ」と説き伏せたのでした。清水先輩は晩年まで、毎朝自宅で2000回の壁打ち(ノーミスで!)を欠かさなかったそうです。清水先輩の逝去後、遺言にもとづき 1982(昭和57) 年に寄贈された「清水記念ボールド」は、今も部員の良きヒッティング・パートナーです。
●1920(大正9)年・柏尾誠一郎先輩(大正2年卒) アントワープ五輪にて銀メダル獲得 熊谷一弥氏(慶大 OB)とのダブルスにて、日本人初のメダルを獲得。続くパリ五輪には、 岡本忠先輩(大正 6 年卒)が出場されました。
●1921(大正10)年・デ杯日本初参加 清水先輩・柏尾先輩・熊谷氏(慶大OB)が出場。決勝で米国に敗れる。
●1927(昭和2)年・第 1 回東大定期戦開催 東大との定期戦は前期戦(男子部1・2年生)、本学部戦(フルメンバー)という形で現在まで続いており、前期戦出場は1・2年生の大きな目標のひとつとなっています。
●1928(昭和3)年・牧野元先輩(昭和4年卒)全日本 選手権優勝・全日本ランキング1 位に 小柄ながらフォアハンドの超トップスピンは時に相手選手の頭上を越え、フェンスにまで達したそうです。
●1928(昭和3)年・全国高専大会優勝
●1934(昭和9)年・全国高専大会優勝/第 1 回 関東学生リーグ戦 2 部優勝
●1940(昭和15)年・全国高専大会優勝/旧制 大阪商科大学(現大阪市立大)と初対抗戦
●1941(昭和16)年・合宿所落成 敗血症で早逝された相馬永夫先輩(昭和17卒代)の遺志による寄附をもとに付設された8畳間を「相馬記念館」と命名。
●1950(昭和25)年・「東京・神戸・大阪」三商大 定期対抗戦を始まる 三商大戦は一橋、神戸、大阪市立の3大学による対抗戦で各校持ち回り、現在は毎年12月に行われています。AWAYの場合は、試合後の観光も一大イベントです。
●1954(昭和29)年・第1回三商大先輩戦開催
●1954(昭和29)年・清水善造先輩、デ杯監督に。遠征の帰途、チルデン氏のお墓を訪れる
●1956(昭和31)年・一橋庭球倶楽部設立 初代会長に近藤荒樹先輩(大正2年卒) 一橋庭球倶楽部は庭球部 OB・OG 先輩方の親睦団体であるとともに、庭球部を全面的にバックアップして下さっています。
●1958(昭和33)年・庭球倶楽部「部報」第 1 号 発行。現在まで続く
●1960(昭和35)年・コート 2 面増設 6 面に
●1971(昭和46)年・女子初入部
女子部員第一号は、昭和41年入学まもなく 庭球部の扉を叩かれた、箱田(現姓 市川)和子先輩です。その年の女子新入学生はわずか7 名。翌年、翌々年に1人ずつ入部しましたが、リーグ戦参加までには8年の歳月が必要でした。
●1973(昭和48)年・新合宿所落成 近藤荒樹先輩(大正2 年卒)よりの贈呈式が3月31 日に挙行されました。
●1974(昭和49)年・女子部リーグ戦参加
女子リーグは現在、1-4 部(各6 校)、5 部(約 60 校)。これまでの最高成績は2008年の5部3位です。
●1977(昭和52)年・女子関東学生資格選手誕生 塚田(現姓 高橋)茂子先輩(昭和55年卒)が、夏の「関東学生トーナメント」単予選を勝ち抜き、女子部として初めて本戦に進出。 その後、本多理香先輩(平成15年卒)が単本戦に。以降、関東学生資格選手を輩出していません。男子は単が田中宏明先輩(平成10年卒)、複は上原正裕先輩(平成12年卒)・ 藤岡伸明先輩(平成12年卒)が最後の関東学生資格選手。新たな関東学生、インカレ選手の誕生が待たれます。
●1982(昭和57)年・『一橋のテニス』上梓
●1985(昭和 60)年・2-3部入替戦に進出 青山学院大に惜しくも敗れる。
●1990(平成2)年・新部室竣工
後藤達郎先輩(昭和10 年卒)をはじめとする諸先輩方の支援により実現。シャワー、トイレ完備、炊事や寝泊りまで可能。多くの「部室の民」と呼ばれる常宿組を輩出。
●1998(平成10)年・「高師(現筑波大)対高商(現 一橋大)」対抗戦(太田・清水杯)が100 周年に テニスにおける日本最古の定期対抗戦として、読売新聞等で取り上げられました。
●2010(平成22)年・新オムニコート完成 三木谷浩史先輩(昭和63 年卒)をはじめとする諸先輩方の支援により、オムニコートを1面増設し3 面に。クレーコートと合わせて6 面。明治期から現在に至るまで、コート、部室(合宿所)などの設備を、先輩方のご支援によりほぼ独力で整えていることは、特筆すべきことです。
●2011(平成23)年・男子部7部へ降格 男子リーグは1-6部(各6 校)・7部(約60 校)。2003 年3部昇格後、徐々に下部へ。 そして、2011年に庭球部の歴史上、初めて7部へ降格しました。昇格・残留・降格、歓喜・憔悴・落胆。それらすべてが、欠かせざる庭球部の歴史です。
●2014(平成26)年・そして、現在 男子部は坂本京一コーチ、女子部は石川いずみコーチ、OB・OG の皆さま方から指導を 仰ぎ、男子・女子ともに、新たな歴史を刻むべく、日々練習に励んでいます。
▲ハードコート化前のクレーコートと部室
▲ハードコート3面(2016年12月完成)